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【REVIEW】downyとの2マン

大阪編レコ発「downyとの2マン」

downyとの共演が近づいてきた。

この日を何年待ち望んだかな。
ふと思い返してみたら
多分、15年ぐらい前と言う事に気がついた。

15年前。

京都に来た頃。

まだバンドもメンバー募集して
ぼちぼちやり始めの頃。
聖飢魔Ⅱとたまとブルーハーツで形成された10代から、
洋楽ばかり聞いていた20代前半
GrungeからMetal、ノイズとハマって
邦楽にまるで興味がわかず。
そんな当時、自分の体を形成している音は
ToolとMassiveAttackだった。

京都に来た頃

京都にふらっと来て
ライブハウスやインディーズシーンを見てまわった。

当時の界隈のライブハウスは
昭和歌謡かロックンロール、メロコアかはっぴいえんどかくるりか
そんなバンドが多数。

フリーペーパー片手に
最近イケてるらしいバンドってのを見に行って
盛り上がる会場に反吐が出そうになったのを
昨日の事のように思いだせる。

オリジナリティも何もあったもんじゃねぇ

その頃の日本のインディーズは所轄90年代の欧米音楽の影響を受けたという
表現がよく悪くもふさわしいバンドが多々いた。。気がする。

今思えば何さまやねんと思うが、リスナー嗜好も
強かった当時、勝手に目の前のシーンに辟易したものだった。

出会い

そんなある日、たまたま入った
新京極のビーバーレコードで
店頭で流れていたPVに凍りついてしまった。

なんだ、これ。
日本のバンドなのか?

それがdownyの「左の種」だった。
陰鬱なメロディに悪夢感のある映像。
釘づけになった。

downy – 左の種 hidari no tane PV





なんだ、これは。

こんな音楽があるのか。

ポストロックという言葉が
まだ宙に浮いていたその頃。

オルタナというにはあまりに形容しがたく
ロックというにはあまりにクローズドじゃなかった。

これは未来だ。

しかも彼らはメジャーデビューして。
ただのアンダーグラウンドじゃない世界にいた。

なんてこった。
日本にこんなシーンがあるとは。

俺にだって何かできるはずだ

その時、そう思った。

日々是、ラーメン屋

日々悶々としながらラーメン屋店員をしていた俺には
それは、最高の癒しの歌であり、一番の応援歌になった。

テレビから聞こえてくるアコースティック楽器片手に
歌われる、誰か知らない「君へ」の歌。
女性シンガーが笑顔で歌う「誰か」の背中を押す歌。

どれもよくわからなかった。

何も伝わらないし
どこか知らない世界の音だった。

そんな想いを払拭したのがdownyだった。


俺もかっこええ音楽を作ろう。
どこにも所属しない、なんじゃこれって音楽を作ろう。

その時、強く思った。

初ライブ

初めて見たライブの彼らで
アナキーダンスが始まった瞬間
気が付いたらぼろぼろ泣いていた。

downy – Anarchy Dance PV



この安心感と絶望感が
あいまった感情は一体なんなんだ。

ただ一つ言えるのは
俺はこれで良かったんだという
妙な充足感。

周りに裏切られ、白い目で見られつづけた
自分の価値観が間違っていなかったと思える瞬間。

それらが、downyのライブで昇華された気分。


いつかdownyと対バンできたら、
そんな日が来たらいいなぁ

その時ぼんやり思っていた。


活動休止

2004年に活動休止のライブを
ファンダンゴで見た後は不思議な気分だった。

なんてこったと思いつつも
バンドは生き物でそういう事もあるのだと
妙に納得したのを覚えている。

2006年に当時やっていたバンドを解散し
キツネの嫁入りを始めた。

イベント、スキマ産業のSEには必ず
一曲か二曲downyが入っていた。
それほど自分にとっては
身近で日常の音楽になっていた。

聞かれたことないが、無人島にもっていく一枚には必ず入るだろう。

ラーメン屋をせっせとやってた時も
デザインの仕事をはじめた時も
会社勤めをはじめた時も
昔の彼女と付き合っていた時も
営業で車を運転していた時も
友達が死んだ時も
バンドをはじめた時も

ずっとdownyが流れていた。

fresh!との共演

そして、2009年にgyuune casetteから「いつも通りの世界の終わり」をリリース
新代田FEVERでhenrytennisとのレコ発に混ぜてもらった。
共演は、すでにイベントで関西に招致していた“石橋英子×アチコ”これも敬愛する元gaji君島さんと須藤さんの“thermo”そして、なんと、“fresh!”が、共演だった。
fresh!は、今や、すっかり懇意にしていただいているMUSIC FROM THE MARSの藤井さんがギターで、リズム隊は、downyから秋山さんとマッチョさんなのであった。
時々メンバーとも話すが、この時、我々はレコ発だったはずだったが、ほとんど記憶がない。ただただ、自分達の力の無さに悔しい思いをした記憶しかない。

たまたま共演させてもらったが、我々の出る幕ではなかった。

覚えているのは、リハで最初にさらっと鳴らした秋山さんのスネアから衝撃波みたいなのが伝わってきて、腰砕けそうになったのと、うわぁdownyのグルーブの音がするよ、、と
いう記憶ばかり。終わってから、マッチョさんや秋山さんとも少しお話する機会があったが、正直「話した」という記憶しかない。

その後、秋山さんとは“loves”や“fresh!”で共演や東京で時々お会いしたり。

復活

そんなある日、ツイッターで見かけたdowny復活の知らせ。
嬉しくて祝杯をあげたのを覚えている(ラーメンで)

そして、復活関西公演の梅田QUATTRO。

downy 第5作品集 trailer movie
downy 第5作品集『無題』



喜び勇んで行ったのだが
正直、気持ちは複雑だった。

10年ぶりぐらいのライブ
どんなライブになっているのだろうか。
そして、シティポップ全盛の昨今
QUATTROとかどうなんだろうか。

ライブに行ってみて
全てが払拭された。

お客さんは満員で。
MC少なめのライブも変わらずで。

それはもう嬉しくて嬉しかった。
変わらない凄み。
研ぎ澄まされた空間。

ひたすらに気持ち良かった。

そして共演

その後、当時、廃校を使ったイベント「スキマアワー」に精を出していた身として
なんどか招聘しようとしてタイミングが合わず。

関西に来られる時は、なるべく伺いつつ。
いつか共演、、と具体的に思っていた矢先。

今回の4thAlbumリリースのタイミングで
共演できる事に。


なんてこった。


神様がいるのかどうか
よくわからんが
音楽辞めずにやってて良かったな。

と、思うのと同時に。

これは下手なライブできへんなと
身の引き締まる想い。

そんな日が近づく。

今のキツネの嫁入りは、今だから
「共演したい」と思える編成だ。
メンバーの奴らは音楽家だ。

機は熟した。

集客をふまえ
いくつかバンドを招聘する事も考えたが
刺し違える覚悟で2マンでどうしてもやりたかった。

downy「凍る花」MV
Directed by leno
Produced by Robin Aoki / Zakuro



キツネの嫁入り「同じ顔の行進」『ある日気がつく、同じ顔の奴ら』 2017.9.20 Release PCD-26068 収録



THA BLUE HERBを招聘した際
フリーのリリックでBOSSさんに
「マドナシ、そこからじゃ見えない景色がある」

と言われた。

まだ、何も始まっていないし
終わってすらいない。

ただ、一つ言えるのは、
28日のdownyさんとの2マンは
少なくとも、15年前の自分が
目指した先だ。



皆さん、9/28 梅田シャングリラで会いましょう。