スキマ産業について

数年前京都にたまたま流れ着いたマドナシことアタクシ。
様々なバンドがイベントを起こし、ひとつのシーンを作りかけ
そして消えていくのを目の当たりにしてきた。

もっぱら僕は京都における他所者的立ち居地で
傍観してきた。

ある種の成功の形とある種の失敗の形。

様々な音楽イベントを見てきて
また、様々なまだ有名ではないバンドを見てきて、自分の中で理想の「イベント」像が
できあがってきた。

コンセプトができたら、後は手を出すのみ。

規模を大きくするのではない。
クオリティを継続する。
東京または多方面からあまり頻繁に見ることができないアーティストを呼び、

どこにも属さないゆえ、そのようなアーティストと共演する機会を逃してきた者。
ただただ、音を追求するあまり、それ以外の部分に関心のなくなってしまった者達。

そんな彼らに「音楽」の場を提供する。
集客面ありきで考える普段のブッキングではありえない組み合わせで。
音楽はジャンルではなく、音の種類ではなく、またはブランドではなく、その境界線を越えて
人々の心に届くことができる。共有することができる。

そんな可能性をこめて。

スキマ産業は、かくありき

スキマ産業は継続され、構想に終わりはない。

メディアは氾濫し、テレビでは似たような音楽があふれかえっている。
それはそれ、それを必要とする人もいるのだろう。
そういった現状を吐き捨て、否定することは簡単だろう。
チャートでしか「音楽」判断することができない人々が世の大半をしめるとして
彼らや彼女らは、「知らない」だけなのだ。
チャートを賑わす音楽以外に、その彼や彼女らの心に届き打ち震わす可能性のある「音楽」
が、この世には存在することを。

スキマ産業に集まる人はそういった世の大半をしめる人達が増えつつある。
そこで演奏し、彼らや彼女らにどう自分の音楽を届けることができるのか。

それこそが、自分の信じる「音楽」を発信するということではないのだろうか。

スキマ産業は「場」を提供する。
「機会」を提供する。

2008年6月27日
キツネの嫁入り
スキマ産業実行委員会代表:マドナシ

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